夫の調子があまりよくない。
そんなときでも夫は血の滲むような努力で怒りや焦燥感を耐えたうえで、私を励ましたり人生を楽しもうとしているように見える。私、エデはそんな心やさしき勇者である夫を心配しているし、敬意を抱いている。
夫の調子があまりよくない。
そんなときでも夫は血の滲むような努力で怒りや焦燥感を耐えたうえで、私を励ましたり人生を楽しもうとしているように見える。私、エデはそんな心やさしき勇者である夫を心配しているし、敬意を抱いている。
結婚してからというもの、掃除が前より楽しい。
水回りを綺麗にしたり、掃除機をかけてみたり、コンロを磨いたりすると気分がよくなる。来客がくるとなると隅々まで磨きたくなるので、これからは来客を増やしていきたいと思うくらいだ。ただ、疲れてしまうと動けなくなるので、ほどほどに家事をしていきたい。
そういえば夫も朝はやくから起きて、モルモットの掃除や世話をしてくれる。最近のマイブームとのことだ。
ジョシュア君という。レタスやケールが好物で「プイー」とねだったり、モルモットのなかでは頭がいいのでちょっとした芸もする。

今日は職場で涙してしまった。
動こうとすれば呼吸はくるしくなり胸が締め付けられる。下を向く。また、動こうとする。何度か自棄な考えがよぎってはぎゅっと唇を噛んで耐えた。
私は繰り返すごとに苦しみに飲まれていく自分自身をなだめるように執務室を出た。面識のない女性社員が心配して声をかけてくれた。できるかぎり丁寧に礼を言ってそのざをはなれたが、とてもありがたかった。
世には稀に綺麗な心の持ち主がいて、私が苦しんでいるとき一番よわいときにふと現れる。私はそういったときはいつも壊さぬようそっと離れるようにしていた気がする。
夫と連絡をとった。
夫は優しく情熱家で私にとってかけがえのない存在だ。そして夫は葛藤する私を慈しんでくれた。そんな素敵な夫とは、これからもずっと一緒にいたい。感謝を忘れずに。
ものごとには陰と陽がありそれが趣深い。
自分自身の人生もまた同様と思える程に達観しきれず。私、エデは陽の光を心待ちにしている。
しばらく鬱々としていた。
夫と麻雀ゲームをして、あまりに夫が私の負けを喜んだからかもしれない。ただしそれは「糸がきれる」きっかけでしかない。
仕事がつらい。慣れ親しんだ人々とバラバラになり孤立してしまった。僅かな見知った人びとも忙しく頼れない。頑張っても認められないが、頑張らないことも認められない。そして、私は職場では余裕がなく、優しい気持ちになれなくなっている。
今日は雨だ。
夫はずっとこの間私の側にいてくれる。陽の光のような、やさしさは雨のなかでも降り注いでいる。
イメージの中で、人生のあらゆる部分をゆっくりと見回してひと呼吸する。
この些細なことで情緒が交錯する人生を、私は全うしよう。
星々も太陽も雨も、心から泣くことと微笑むことはできないから。
生活は安楽ではない。
私も夫も病、障害による苦痛からは逃れられない。弱いというよりも、見た目では分かりにくい重荷を背負いながら人生の道を歩いているのである。
暫し休憩も必要だが、荷が重いゆえである。
それでも、景色が鮮やかさや道ゆく人の優しかったことに心を打たれる。
だから私は幸福を諦めない。
私は夫にエデという名前をもらった。
とても綺麗な名前だと思うけれど、慣れないでいる。
パリのアパルトメントつまり高田馬場の賃貸住戸での暮らしは、物価高の影響を除けばかなり優雅なものである。
部屋は簡易な仕切で寝室と居間にわかれている。居間は割と広々としている。食卓とワークスペースを兼ねた簡素なテーブルセットと本棚があり、そしてメダカの水槽、クワガタのケージにモルモットのケージが隅に配置してある。
しばしば夫はガーベラなどの花を買ってくれるので飾って夫婦で楽しむが、ここ1週間は買いにいく時間がなかったので、部屋は少し淋しげだ。
今日は慣れない針仕事に精をだした。山を趣味にする夫の服が破れたため繕う必要があったのだ。生来の不器用な私はしばらく繕うのを延ばし延ばしにしていたが、やっと着手したのだ。
ラテックスとシール生地に苦戦しつつ繕った。中々に難しい。出来上がりはやはり思うようにいかなかった。
すまない気持ちで夫に繕った服を見せたら、目を輝かして言った。
「ありがとう!これで山に行けるよ!」
そして、時間をかけた針仕事を労ってくれた。
もらった名前と夫のやさしさが、今日を良い一日にしてくれた。