懈怠の心

きょうは寝られないので0時に起きてこうしてぼんやりしている。夜食にカップヌードル醤油味と豆腐を一丁食べた。

職場の上司に電話するイベントがあったのでそれをなんとか昨日、クリアした。ひとえに妻の援護のおかげである。退職する決心を固めているのだが、上司が復職を前提に話を進めるので(そりゃ、そうだ)、なんとなく退職を切り出しにくくなっていく感じがどうも気分が塞ぐような心地がして面白くない。しかし退職はおれによるおれ自身のビジネスだから、あたかも取引先に新商品を営業するかのように、事務的に、感情を入れずに、ただ数字を(利益を)求めるだけの姿勢で、臨むつもりだ。

気圧に左右される体調はこれもまた面白くない。「このままじゃ人生が破滅する」と思い込んでいることがたびたびおれにはあるが、それが単なる低気圧のせいであって、おれの深い思索の結果によるものでないことが判明する瞬間がある(晴れた日に、「あれ、なんで悩んでいたんだっけ、となる」)。こういうのは、どうも、つまらないですね。
すなわち「妄想」ということだ。どんな考えも、理性に基づかないほとんどのこと、自動的に湧き上がってくるあれこれ、それらは妄想であって(ここでいう妄想とは、仏道用語である)、「妄想、妄想、妄想」とラベリングして確認(客観視)して「放っておく」ことが大事だ。それを連続するのが瞑想であり、日常生活の中で家事をこなしながら瞑想するのは在家としてとても有益だ。妄想をなくし、怒り嫉妬憎しみをなくし、心を清らかにしてよいところに生まれかわるor預流果の悟りに至るのがわれわれの目的だ。それ以外に人間に生まれた意味は無い、と断言してもよいくらいだ。ってのが、仏道実践者の考えです。おれはといえば、もう、汚い、情けない、どうしようもない、仏弟子を名乗るにはあまりに怠惰で愚劣であるから、恥ずかしい。何も実践できていないし、懈怠の心に支配されちまっている。

あ、あと、レトロフリークに接続するためのサイバーガジェット純正のコントローラーが手元に届いたので、ご機嫌です。

縄を編むこと

昨日の昼食はうま家の味玉ラーメンとライス、そしてライスおかわり。美容室に行って髪を切った。前髪矯正だけするつもりだったのだが、スタイルの都合で範囲を広げて(+千円)ストレートをかけた。午後はリボトリールを頓服で飲んでから昼寝して、18時ごろに目が覚めた。それから家事などをして、パワポケでジャクソン(横浜)を作成した。クイック×の特殊能力を獲得する必要があったので(ジャクソンのクイックに課題のあるところを再現するため)、RPG編のチチロイベントを2回出現させた。このチチロイベント周回のコツを最近発見した。それはメタリンコの登場するドラゴンの山周辺で散策し、モンスターが出たら討伐、モンスターが出なかったらリセット(レトロフリークの機能)だ。もちろん、モンスターが出ようが出まいがリセットを繰り返したらチチロはいつか出現するだろうが、それではプレイに飽きてしまうのでまったくおすすめできない。メタリンコを討伐してレベルを上げていく(一人旅)のが楽しくてよい。

きょうは4時半に目が覚めたので、モルモットたちの世話をして洗い物をして、洗濯もして、掃除をして、そうして身体が動いてきて元気がチャージされた頃合いを見計らってこの日記を書いている。最近気づいたことなのだが(そしてそれはミル自伝にヒントが書いてあったのだが)、幸福じゃないからといってふて寝をしたりぼーっとしたりして「幸福にならないかな、体調良くならないかな」としていても悪化するばかりだ。それよりも動いて家事やそのほかの雑事をこなして、そこにsatiを入れて、活動的に身体を用いることで元気が=幸福感が訪れる。もちろん家事をする体力もないほどに眠かったり、体調が悪いこともある。これは重篤なので、薬を飲んで寝ればいいわけだ。寝る、もしくは動く。どちらかに決めて、決してぼーっとしない。これが結果的には幸福感を得る(充実感を得ると言い換えてもいい)ためによい。人間の身体はどうやらそういう風に作られているらしい。農村のおばあさんが深夜まで行商に売るため? に縄を編んで暮らしている話を聞いたことがある。これはおばあさんが特別聖者のように勤労だったというよりは、おばあさんなりの精神の健康法だったのではないかと思える。毎晩毎晩縄を編むのが元気のチャージ法だったのではないか。

素人が考える化粧品ランキング

素人(化粧経験無し、男性、アラサー)が考えるデタラメ化粧品ランキングだ!

1位 プリマヴィスタ

やっぱりプリマヴィスタが堂々の1位にランクイン。プリマヴィスタといったらリップクリームからコンパクトまで幅広い商品展開を広げるフランスの一流コスメメーカーで、その品質と信頼性はおれなんかにも知れ渡っているからスゴイ。プリマヴィスタは韓国のトップアイドルたちが男女問わず愛用していることでも有名で、プロのメイクさん(にじう。の担当)からも「品質で言ったらこのメーカーに優るものは今後20年出てこないだろう」と言わしめている。

2位 資生堂

国産メーカーから資生堂が堂々の2位にランクインだ! 資生堂の化粧品は百貨店の1階、化粧品フロアにきらきらしく並べられており、愛想の良い若い女性店員さんがニコニコと接客してくれるからその姿勢もとてもよい。そんで、そこへ遊びに行くと店員さんが丁寧にメイクしてくれて仕上がりを褒めてくれて、営業の気持ちよさもバツグンだ。そういう地道な小売戦略がこのメーカーを大衆的な人気につなげている。品質も値段(お手頃)に比して非常に高いクオリティを誇っており、玄人筋では「このメーカーのを一揃え持っておけば、それで十分」という意見もあるほどだ。

3位 ドモホルンリンクル

やっぱり化粧品と言ったらドモホルンリンクル! 3位はこれに決まりだ! 日本国内では知らない者はないだろうというほど人口に膾炙したこの化粧品ブランドが、やはり堂々ランキング上位に来るのは非常に納得といったところ。肌トラブルの対処から基礎化粧品としての優れた性能、そしてアフターサービスの充実、どれをとっても一流ブランドの矜持を忘れない素晴らしい商品・サポート展開。「およそ消費者の用に供する商品を売り出す企業であったれば、ドモホルンリンクルの姿勢をこそ見習うべし」とは伝説的大物経営者である稲盛和夫大先生(ああ、先生に幸福と平安が訪れますように)も口を酸っぱくして述べているところである。

我が家の二匹(ダルタニャンの場合)

我が家には二匹のモルモットが暮らしている。

一匹はジョシュア・シーモア・ジュニア卿とて、三つの色の体毛を有する傲岸不遜な気高き鼠である。その体色の黒は敬虔を、茶は武勇を、白は自由を示し、あたかもマルタ騎士が精神においては清らかな境地を保ったまま、戦においては無類の働きを見せるように、ジョシュア卿もまたそれらの騎士たちに伍して、鼠の仲間のなかではなかなか見られないような気高さをわれわれの眼前にお披露目してくれるのである。

もう一匹はアラミス、すなわちアラメダ公爵、銀色の体毛と燃ゆるような赤い眼をもった情熱的な鼠。だれもその出自を知るものはないが、おれは彼がスペインの王家を先祖に持ちながら、身分を隠しこの高田馬場に暮らしているのではないかと訝しんでいる。とにかくこの公爵は声量がすさまじく、これは戦場でおらび上げるアカイアの勇士たちのよう、レタスやにんじんをねだるに際しては命をかけたアッピールを行うのだ。

おれは彼らモルモット貴族たちを大変に愛好している。世話をする際ジョシュア卿の前歯の一撃を食らったとておれはなんとも思わん、どころか、その勇気に嬉しくなってしまうのだし、アラメダ公爵がうるさくしているのはとても微笑ましい。エデが連れてきた一匹と、そして二人で新たに迎えたもう一匹(アラメダ公爵)であるが、いまやエデだけではなくおれにとっても日々の暮らしにおいてなくてはならない存在、家族なのである。

我が家の二匹

我が家にはモルモットが二匹いる。
ジョシュア君とアラミス君という。

ジョシュア君は、誇り高い。後頭部に白い飾り毛があり王冠のようである。顔もまた茶・白・黒の三色が見事に配置されており、特に目の上はアイシャドウのように黒く気品を醸し出している。そして胴はシッカリと黒いチョッキを纏っている洒落者だ。

性格も堂々としており、木製の小屋に入って寝ていることは稀で、大抵は私の視界に入るようなところで眠る。芸も簡単なおまわりだがすぐに覚えてしまった。扉を開けると膝に乗ってきて、おやつのレタスを食する。そして食すると自ら扉の中へともどっていく。

アラミス君は楽しい。灰色の縮毛と白い縮毛がおしゃれで、目はぶどうのように深く紅い。
声が大きく、プイプイを通り越してピーピー鳴く。
木製の小屋から顔を覗かせていることが多く、別のケージに居るジョシュア君をよく気にしている。
芸もやはりすぐ覚えて、おやつが欲しいときに勝手に廻り出す。食べたあとは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。お調子者だ。

ジョシュア君やアラミス君をみていると、牧草を主食としているからか穏やかで、根本的に悪意がなくやさしいことが伝わってくる。私はこの二匹がとても可愛い。

【双極性障害】今後、障害者が武装して健常者を襲うというデマ

私は障害者である。

障害者手帳を有しているし、障害年金も受けてなんとか生活をやっている。いわば、行政のサポートのおかげて生存を許されている、吹けば飛ぶような弱々しい生き物だ。私は私の生活のために納税をしてくれている健常者、あるいは健常でなくてもそれだけビジネスをうまくやって金銭を得て、たくさん税金を払ってくれている者たちに、せいいっぱいの感謝こそすれ、一つの恨みをも抱いてはいないことをここに宣言する。

私は障害者だから障害者の間で飛び交う風説、デマ、陰謀、そうしたものには詳しい(勝手に耳に入ってくる)つもりでいるのだが、「一部の障害者」が抱いている一つの説があるのでここに紹介する。すなわち、

「障害者は武装せよ。武装して健常者に迫り、自らに有利な政策の決定を推し進めよ」

というものだ。

かつて「労働者」は資本家にこき使われてひどい有様だった。昔のイギリスでは、労働者は貧困線以下で生活せざるを得なかった。児童でさえ労働に服していた。そのために家庭料理という文化が崩壊してしまったとか言われている。

いまは日本では8時間労働、週40時間の労働。しっかりそう決まっている。36協定がなければ残業は出来ないし、残業をすれば残業代がしっかり支払われることになっている。それに60時間を超える残業にはさらに重いペナルティが科されることになっているし、とにかく、現代の日本は、比較的(昔の酷かった国――イギリスとかと比較してという意味)労働者が保護されている国だ。

昔のイギリスと、いまのマシの日本。この劇的な改善をもたらしたのは何か? 国が違うから、ではない。「武装・暴力・変革」。これらだ。これらのおかげで労働者は人たるに値する生活を営むだけの権利を手に入れて、いまに至る。資本家が優しいから、労働者との話し合いに応じてくれて、そんで、労働時間を調整してくれたとかそういうヤワな話ではない。「武装」。労働者は武装した。そして大いに暴れた。殺した。壊した。燃やした。政府に改善を迫った。そうしたようやく資本家と資本家の尖兵たる政治家は聞く耳を持ち、流血の果てに、労働環境の改善が行われたのであった。

さて、目下、我が国の障害者――とりわけ最近増えている精神障害の者の不満は、いまや爆発寸前(爆発する元気のない者もあるのだが)といった様相を示している。というのも、精神障害のために生活が出来ないのであるが、生活保障たる年金制度の設計が(あるいは改善が)不十分であるからだ。

具体的には「障害基礎年金3級」の創設がまだわが国ではなされていない。これは何を意味するか? 「障害のせいで労働に制限を有する者」が、十分な支援を受けられていないのだ。うつや双極性障害、発達障害などでフルタイムで働くことができない。だから経済的に困窮している。生活のために必要な糧を有していない。しかし、年金制度を利用して経済的支援を得ることができない。生活保護制度を利用するには、高いハードルがある(そのハードルを越える手段は、いろいろあるのだがきっとしち面倒なのだろう)。

話し合いで(=民主主義の政治で)なんとか制度を改善してもらえればいいのだが、それを待つには時間が惜しい。それに話し合いの結果、必ず熟した完璧な果実が得られるとも限らない。悪い結果になるかもしれない。却下されるかもしれない。すなわち死刑宣告を下されるかもしれない。

死ぬくらいなら、武装だ。暴力だ。変革を迫れ。

障害者は武装をし、健常者に迫れ。話し合いのテーブルを用意するのは結構だ。それはそれでよい。しかしこちらにも力があるんだぞと、やるときはやるんだぞと、それを思い知らせなければ結局のところ、弱肉強食の世の中、決まるものも決まらない。

数万人の障害者が金物店で購入した刃物を持ち、都内を練り歩く。懐に隠したソレをいつ「用いる」かとタイミングを伺いながら。そして「その時」が来たのを時計で確認し、一斉にあたりにいる健常者に襲いかかる。別に、その相手に恨みがあるわけではない。これは体制への攻撃である。政治への攻撃である。政府への攻撃である。申し訳ないが、犠牲になってもらわなくてはならない。資本家を打倒する革命家たちも、「資本家は性格が悪い、悪人である」と思っているわけではない。そうではないが、よりよい社会のために犠牲になってもらう必要がある。暴力によって。今回、障害者が健常者に対して行う攻撃も、それと同じ理屈である――。

こういう噂が流れているんです。皆さん、どう思いますか?
こうでもしないと、障害者が生きていくために必要な政策は、適切なスピード感をもって決まることがないだろうというわけなんです。

で、一番の問題は、ここまで書いてきたことがすべて私の躁状態の時の妄想だってことです。ごめんなさい。易怒性の発揮で、こういう攻撃的な妄想が頭を支配してしまうんです。別にふだんの私は平和主義者なんです。だれかれに感謝しているんです。いつも生かしていただいてありがとうございます、と。どうしても危ないときは入院をしています。閉鎖病棟へです。きょうも薬を飲んで、安静に過ごします。たぶん本当にこういう演説をやってしまうんです、躁状態のときは。こうやって文章を書いているのも躁状態の予兆です。この辺で止めにしておきます。

そうなんです。もうおわかりかと思いますが、こんな危ないことを言っている「一部の障害者」というのは、自分のことです。ほかに誰も言ってません。知り合いの障害のある人たちはみんな優しくて自責的で、政治には文句をつけません。

私が悪いんです。私の脳が悪いんです。私の頭が悪いんです。助けて下さい。

【双極性障害】睡眠欲求の低下は何をもたらすのか?

睡眠欲求が低下している。あまり寝ていない。だいたい22時に寝て3時に起き、そんで活動している。ポケカやパワポケ、クワガタを眺めたりスプラトゥーン3をプレイしたりして遊んでいる。そうしているうちに日が昇ってきて、気の早い時間にエデを起こす。エデは正直なところ迷惑しているかもしれない。そんでもおれは早起きが止められないし、早起きを共有する楽しみを止められない。躁状態になるとこんなものだ。一人暮らしをしている時もそんなだった。3時半に起きて、友人に「ショートスリーパーになったかもしれない!」と報告していた。「これは仏道修行の成果だ! あたかもブッダが一日に少しだけ横になるだけで、あとはずっと瞑想や説法を続けていたように、おれも、そうなったのだ」とも。いまだに「あの時早起きしていたが、ダルタニャン、最近はどうなんだ?」と聞かれることがある。「もうやめたよ」としか言えない(いまの時点では言える)のだが、躁状態ってのは、そんなものなのだ。

卵が先か、鶏が先か、という言葉がある。躁状態の早起きについても、これと同じことが言える。どういう意味かと言えば、「断眠療法」という古典的な鬱の治療があるように、人ってのは寝ないでいるとどうやら鬱状態を脱してしまうらしいのだ。そんで、おれも、双極性障害の患者も、寝ないでいると躁状態になってしまうものであるらしい。おれは一時期(結婚してから)コーヒーを必ずベッドの横に用意して、早起きをしてゲームをするよう試みていた。ふつうに寝て普通に起きて仕事に行くだけじゃ、余暇があまりにも少なすぎるから、こうして、早起きして時間を遊びに使おうというもくろみだ。それが続いたらやがて、コーヒーがいらなくなった。コーヒーがなくても早起きが出来るようになった。そんで時期的には、それをしばらく続けてから、躁状態に入った自覚がある。奇行をしたくなったり、不安やイライラや焦燥感が強くなったり、エデにはいろんな迷惑をかけている。とりわけ精神的に酷い負担をかけて泣かせてしまったような時があった。これはとても辛い。エデはもっと辛かったろう。おれは自らを斬り捨てたくなるほど嫌な思いだ。愛すべき妻になんてことをしたのか。別に殴ったりしたわけではないのだ、誤解なきように書いておくが。

躁状態においては、現代で言うとSNSの投稿がとても増える。つまり表現活動、自分の言葉を外部に発散する欲求を満たすのに歯止めがきかなくなる。注意するべきは、おのれの顔写真などをどこかに発表しないでおかなければいけないってことだ。躁鬱人の先達たる坂口恭平は、自らの電話番号を世界に公開している。これは躁状態特有の行動だ。よくわかる。おれもやりそうになるからな。

おれはいつか鬱状態になり、動けなくなるだろう。それまでに躁状態のこのエネルギーを、表現に、用いるのが一番よい。つまり、双極性障害は詩人たれということだ。おれは詩人だ。詩を、ものして、発表する。あるいは発表をせずとも眠らせておく。そうしてエネルギーを静かに使っていって、生命の炎の熱を、この世界に残していく。

躁鬱のダルタニャンは剣を置き、ペンを取る。