目的条文について

目的条文

エデは法学に通じている。たいしたもんだよ。だってさ、おれが事件(判例)の名前を言うだけで、それがどんな内容だったか言い当てるのだからね。それってすごく、希少なスキル・知識であるとおれは思うよ。とても感心しているし、リスペクトしている。

たいしておれはどうかと言えば、政治学士の学位を有しているにもかかわらず、政治のことといえばメロスみたいに何にも分からないし、立法に関する知識もないから自然、法律なんかにはまったくの門外漢であると言える。

だからこそ、おれは社会保険労務士の勉強を開始してから、新鮮な発見を多く得ている。

「目的条文」というのもその発見のうちの1つだ。

法律――たとえば「労働基準法」とか「労働時間等設定改善法」とかには、必ず「目的条文」ってのがはじめに置かれている。この目的条文ってのは読んだ意味の通り、その法律の目的を書いてあるらしい。

いま例に挙げた「労働時間等設定改善法」では、「この法律は、(中略)労働者の健康で充実した生活の実現と国民経済の健全な発展に資することを目的とする」とある。へえ。労働者の健康で充実した生活の実現かあ、と、しみじみ思った。なにせおれは労働者だからさ。ちょっと考えてみよう。

労働者の健康な生活の実現。これは実現できているか、おれ個人に関しては? できていない。おれは双極性感情障害を患い、障害厚生年金3級を得る身分になってしまった。そしていまきょうの時点で、職を失うことが確定している。労働時間が適正でなかったということなのか? おそらく、おれ個人にフォーカスすれば、イエス、ということになる。労働基準法では1日に8時間を超えて労働させてはいけないと決まっている(36協定を定めた場合などは別)。そんで、多くの企業が、おれの所属していた会社もそうだが、その上限の1日8時間の労働を労働者に課している。週に40時間。これが、おれという個体にとっては、適切な労働時間ではなかった。身体(精神)を壊してしまった。

でもさ、おれみたいな弱い個体に合わせていたら、日本全体が成り立たなくなる。ほとんどの個体は1日8時間の労働に耐えることができるのだから、そちらに合わせるのが道理だ、という意見もあるだろうと思う。おれもそう思う。だからこそその補填として、障害厚生年金3級を受給しているのだと、おれは勝手に解釈している。そんな解釈が法律的に(厚生年金保険法の目的条文的に)正しいのかは、分からない。

「厚生年金保険法」の目的条文は次の通り。「この法律は、(中略)労働者及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする」。

障害を抱えた労働者たるおれの生活の安定、これは、たしかに年金によって多くの部分実現されていると言える。年金がなかったらもっと悲惨なことになっていたとおれは思う。厚生年金保険料を納めていて、おれは本当によかったと考えている。そして、おれがいま納めている別種の保険料(生命保険とか、ペット保険とか、火災保険とか)の給付を誰かが受ける場合、それはその人にとって本当の助けになって欲しいし、その人の幸福を念じざるを得ない。おれの保険料は掛け捨てでかまわないから。

エデは静かに寝ている。熱を出している。彼女の健康で充実した生活、その生活の安定、それはおれが掲げるべき夫婦生活の目的条文だ。おれはそっと彼女に寄り添い、最大限の助力を申し出ることとしよう。

モルモット

チモシーの無限供給こそ生活の安定ぷいね~

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