懈怠の心

きょうは寝られないので0時に起きてこうしてぼんやりしている。夜食にカップヌードル醤油味と豆腐を一丁食べた。

職場の上司に電話するイベントがあったのでそれをなんとか昨日、クリアした。ひとえに妻の援護のおかげである。退職する決心を固めているのだが、上司が復職を前提に話を進めるので(そりゃ、そうだ)、なんとなく退職を切り出しにくくなっていく感じがどうも気分が塞ぐような心地がして面白くない。しかし退職はおれによるおれ自身のビジネスだから、あたかも取引先に新商品を営業するかのように、事務的に、感情を入れずに、ただ数字を(利益を)求めるだけの姿勢で、臨むつもりだ。

気圧に左右される体調はこれもまた面白くない。「このままじゃ人生が破滅する」と思い込んでいることがたびたびおれにはあるが、それが単なる低気圧のせいであって、おれの深い思索の結果によるものでないことが判明する瞬間がある(晴れた日に、「あれ、なんで悩んでいたんだっけ、となる」)。こういうのは、どうも、つまらないですね。
すなわち「妄想」ということだ。どんな考えも、理性に基づかないほとんどのこと、自動的に湧き上がってくるあれこれ、それらは妄想であって(ここでいう妄想とは、仏道用語である)、「妄想、妄想、妄想」とラベリングして確認(客観視)して「放っておく」ことが大事だ。それを連続するのが瞑想であり、日常生活の中で家事をこなしながら瞑想するのは在家としてとても有益だ。妄想をなくし、怒り嫉妬憎しみをなくし、心を清らかにしてよいところに生まれかわるor預流果の悟りに至るのがわれわれの目的だ。それ以外に人間に生まれた意味は無い、と断言してもよいくらいだ。ってのが、仏道実践者の考えです。おれはといえば、もう、汚い、情けない、どうしようもない、仏弟子を名乗るにはあまりに怠惰で愚劣であるから、恥ずかしい。何も実践できていないし、懈怠の心に支配されちまっている。

あ、あと、レトロフリークに接続するためのサイバーガジェット純正のコントローラーが手元に届いたので、ご機嫌です。

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