雨とお日様

ものごとには陰と陽がありそれが趣深い。

自分自身の人生もまた同様と思える程に達観しきれず。私、エデは陽の光を心待ちにしている。

しばらく鬱々としていた。

夫と麻雀ゲームをして、あまりに夫が私の負けを喜んだからかもしれない。ただしそれは「糸がきれる」きっかけでしかない。

仕事がつらい。慣れ親しんだ人々とバラバラになり孤立してしまった。僅かな見知った人びとも忙しく頼れない。頑張っても認められないが、頑張らないことも認められない。そして、私は職場では余裕がなく、優しい気持ちになれなくなっている。

今日は雨だ。

夫はずっとこの間私の側にいてくれる。陽の光のような、やさしさは雨のなかでも降り注いでいる。

イメージの中で、人生のあらゆる部分をゆっくりと見回してひと呼吸する。

この些細なことで情緒が交錯する人生を、私は全うしよう。

星々も太陽も雨も、心から泣くことと微笑むことはできないから。

双極性障害と江戸の風呂

双極性障害を抱えていると(別にそうではない人だって、時にはそうなることもあるだろうが)、風呂に入るのが難しい日がある。そういう時はどうするかといえば、簡単で、風呂に入らなければいい。風呂に毎日入らなければならないのは、常に人と会って交渉をするような仕事の人物であって、おれのようなリモートワークを特別に許された障害者雇用人間には当てはまらない。おれは風呂をある程度免除されている身分の者である。

それはそれとして、最近は頻繁に風呂に入るためのコツを発見したからみなさんにここで紹介をしたいと思う。前述の通り風呂に毎日入る必要はないのだが、しかし、入れば入ったなりにメリットがたくさんある。まず気持ちが良い。とても気持ちがよい。あたかも、シャトー・ディフに幽閉されていた囚人がうまく逃げおおせて、ようやく南仏の海にざぶんと身体を投げ込んだがごとく、解放された気持ちになれる。それから肌がすべすべになって調子が良い。おれは美肌にこだわるような軟弱な輩ではないが、そんでも風呂上がりの肌のすべらかなことはおれの心を和やかにしてくれる。そして何より、この世で最上の妻たるエデと身体の接触を伴う愛情表現を示す場合は、おれは、風呂に入っておったほうが好ましいと思う。そりゃだれでも、フケだらけの頭をした男とハグをしたいとは考えないだろう。

さて、その風呂に入るためのコツというのが次のようなものだ。まず風呂釜に高温のお湯を入れる。高温ってのは主観によるだろうが、おれの場合は45度くらいがいいらしい。そんで、お湯がたまったならば、そこへクナイプの入浴剤をぶちまけてかき混ぜる。なぜクナイプの入浴剤でなければいけないかと言えば、それは、おれの家にはクナイプが、独身時代に買ったものだが、たくさん余っており、これを消費したいと是非考えているからだ。このようにして、おれはクナイプ色に染まった熱湯を準備することが出来た。そうしたらおれダルタニャンは裸になる。肉体から衣服を取り除く。おれの筋肉はあたかもオデュッセウスのそれの如くがちがちだが、そんでも、中年に差し掛かってきた功徳でもあろうか、腹のほうがぽこっと飛び出してこれはこれで愛嬌があって良い。そんなおれの肉体美をエデは賛美するが、ともかく、そのままおれはクナイプ熱湯にダイブするのだ。熱い! そう叫んで肩まで湯に浸かり、そんで、しばらく経ったら風呂釜の湯を桶ですくって頭を洗って、最後に、陰部をしっかり洗浄し、ささっと入浴を終える。

これがおれダルタニャンの発明した江戸式の入浴である。どこら辺が江戸なのかと言われればそれは、我慢、忍耐しながら熱い風呂に浸かってそれで強がって「気持ちよかった」とエデに報告するところがそうだ。

実際のところ、精神疾患を抱えている人は風呂を大変の苦手としている。おれは今回紹介した方法が誰にでも有効であるとは考えない。むしろ最近軽躁気味のおれのことだから、元気があるからこそ実行できているだけの手段であるとも言えるかしらん。ともかくおれの考えているのは、精神疾患を抱えながらも生活上の様々な不便を乗り越えるために工夫を重ね、そんで、なんとか生存を継続している者たちはイリオン攻めの勇士たちに並ぶ素晴らしい英雄であるってことだ。そうした細やかな努力は、ホメロスが語ったように、けちんぼなアガメムノーン王(世間の人々)には評価をされない。だが、せめて、おれだけは当事者として、諸君の奮闘をよく分かってやり、そして、その日々の勝利に対し栄えある金羊毛勲章を授けたい。

双極性障害とオオクワガタ

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 剛勇のディオメーデースみたいなオオクワガタだろう。これはウィンター卿。恐れを知らぬクワガタ界のイギリス貴族だ。

 きょうはなんかいまいち調子が悪いので、クワガタを眺めて暮らすよ。きのう仕事を早退したしな。

Ça doit être un lucane intrépide comme le vaillant Diomède. Voilà Lord Winter : un aristocrate britannique du monde des coléoptères, qui ne connaît pas la peur.

双極性障害が妻に落涙を強いる

 わが最良の妻たるエデを泣かせてしまった。

 麻雀(じゃんたま)をプレイして、点数に応じて数百円のやりとり(つまるところ、これは、ギャンブルである)をしようと提案した。エデはこれを飲んだ。たぶんおれと彼女との間に実力差があることを知りながら、しぶしぶ飲んだ。その心の内にはきっと、おれを楽しませたい、仕事を早退したおれを少しでも喜ばせたい、という意図があったろう。おれはそれを踏みにじった。チートイツの満貫(親)で12,000点あがって結局、エデから300円をせしめた。そうしたらエデは泣いてしまった。

 ひどいことをしたもんだ、と思った。ギャンブルは、これは長老(スリランカのお寺の住職)も語っていたのを聞いたのだが、在家のシーラ(戒律)には入っていないものの、明確によくないこととされている。するな、と。その理由がよく分かる。まず妄想をかきたてる。勝利の妄想を惹起し、脳に悪い物質を増加させる(それは科学ではドーパミンとかアドレナリンとか言われるものだろう)。そして勝った方がただ賞金をもらえるだけならともかく、負けた方は罰金を支払わなくてはいけない。必ずどちらかが悲しみを得る結果になる。これがよくない。どちらかが良くて、どちらかが悪い。これがよくない。どちらも良い、ともかく物質に依存せず、全てが良い。これが賢者の(仏道に限らずです)道のはずだ。ところがギャンブルはそうではないのだ。妄想の強化、そして損の辛さ。損する相手が最愛の妻であると考えれば、なおのこと、これはよくないのだ。

 ギャンブルは、やめだ。麻雀は楽しいからやってもいいが。おれはきっとエデが思っている以上に、反省し、今回の件について深く考えた。そして何が彼女の涙を誘ったのか、何がいけないことだったのか、それを追究した。繰り返すが、「妄想・欲望の強い惹起」「最愛の者が損するのをを楽しむこと」これが同時にやってくるのが身内のギャンブルだ。だから、良いわけがない。

 双極性障害は調子に乗ったことをする。調子に乗るのが躁鬱人の躁鬱たるゆえんかもしれない。あまりはしゃがないがいい。静かに生きる、賢者の道を行く、それを目標にしなくてはなるまい。

幸福と安楽

生活は安楽ではない。

私も夫も病、障害による苦痛からは逃れられない。弱いというよりも、見た目では分かりにくい重荷を背負いながら人生の道を歩いているのである。

暫し休憩も必要だが、荷が重いゆえである。

それでも、景色が鮮やかさや道ゆく人の優しかったことに心を打たれる。

だから私は幸福を諦めない。

双極性障害は仕事を早退した

 きょうは仕事を早退した。双極性感情障害の人間はたびたびこういうのをやる。感情、気分の波、服薬のうまさ、そういうのが安定しないので、早退、欠勤、これがなくては務まらない。ふつうの人、健康の人は、安定していて休まない。信じられない事実だが、有給休暇を付与されたにもかかわらず、時効にまかせて消滅させてしまう(くらい休まない)人間もいるとか。おれはそれはふつうに損だからビジネスマンとして失格行動と思うのだが、ともかく、そのくらい休まない。それは再度言うが賢くないし、どうかしているんだが、おれの言いたいのは、健康の人はそんくらい安定していて、早退も欠勤も無縁なもの。そこへ来ると躁鬱人は、賢いな。お給料もらいながら休むんだから。合法的に、ね。ははは……。

 これは日記ではあるが、人に見せるため公開している。公開している以上、閲覧者のためになる有益な情報を載せるのが善い。だからおれはある種の患者の(つまり、ダルタニャンおれのことだ)定点観察めいて、調子の悪い日の(あるいは良い日の)状態、特筆すべき事項を記しておこう。

 まず常用しているのがリチウム普通量。バルプロ酸比較的多量。リボトリール1mg。レキサルティ少量。頓服として用意されているのがリボトリール1mg錠剤で、これは一日につき5mgまで服用を許されている。また、レキサルティも一日の合計が2mgになるまで許されている。

 きょうは早退するくらいだから、悪い調子の日だった。この日の特筆すべき事項。まずカフェインの摂取が「多」。リボトリールの摂取が「3mg、つまり多」。思うに、この二つの相互作用がおれをふらふらにして、仕事に集中出来なくさせちまって、早退を決断させた。早退を告げた時、周囲の同僚たちそして上長はとても優しかった。これは救いだ。

 結論として、まずカフェインの「多」これはよくない。不安感、焦燥感を増大させる。眠い場合は睡眠時間の見直しをしよう。それから早朝に散歩や有酸素運動を取り入れよう。どうしてもだめなら医師に相談しよう。もっぱら、服薬のアドバイス、見直しを依頼するのが良い。また、リボトリールの「多」。これは最悪だった。朝の時点で予期不安に対抗するために飲んだのだったが(しかも、エナジードリンク・ピンモンで流し込んだのだ)、それからというものふらふらして仕方がなかった。ポケモンで言ったらパッチールだった。どうか、これを教訓にして躁鬱人諸兄も、クスリには気をつけて欲しい。クスリはリスクとはよくぞ言ったものだ。そうだな、ラ・フェール伯爵よ。なあ。

双極性障害は賃金を得る


 きょうは仕事に出なければならない。本当は休みたいくらいの体調なのだ。元気がないわけじゃない。焦燥感と不安感と、それから易怒性の発露がおれをしんどくしている。仕事をしなければ賃金を得られない。賃金を得られなければ、妻たるエデとの蜜のような生活を継続できない。それはいやだ。明白にいやだ。でも労働も、嫌なんですよ。嫌、というよりも不可能、に近い。おれは無能者だ。この生活をあと数十年継続するのは不可能だ。物理的に不可能だと思う。どこかで脳がぷつんと壊れてしまう。そんな気がしている。いまは薬剤のコントロールでなんとかしている。そもそも労働を、薬剤でコントロールしてまで継続する不自然さ、グロテスクさをみな分かっていない。『水と原生林のはざまで』を引用するまでもなく、人間たちは本来のところ、全員が全員働いていたわけではない。働けるわけでもない。養う者と養われる者がいて、それはそれで善いとされている。ギリシアの賢者たちはどうか。養われる者だ。奴隷に養われていた。歴史に名を残しているのはどちらか。賢者たちのほう、すなわち養われていた方だ。

 リチウムを飲んで、バルプロ酸を飲んで、リボトリールを飲んで、双極性感情障害と格闘しながらきょうをやり過ごそうではないか。

 じつのところおれは、ダルタニャンは、仕事中デスクでポケモンカードのデッキリストを作成して時間を潰している(暇なわけではなく、精神的な安定を保つため)。

月曜日の祈り

私、エデはモルモットを飼っている。今朝は朝5時頃に起きて、眠気に耐えている間に夫が世話をしてくれた。

夫は大抵は午前3時台に起きる。朝から元気だが、仕事が始まる月曜日が憂鬱らしい。ニコチンガムを多めにカバンに入れていた。

私はといえば夫を横目にサッと化粧をして、この日記を綴っている。

月曜日の全ての憂鬱に、心を寄せながら。

双極性障害と死闘しているダルタニャン


 昨日はおれはあまり寝付きがよくなかった。というのも、月曜日がやってくるのが非常に恐怖だったため。おれは比較的人と付き合うのに苦手意識をそう持たないはずの人種であるが、どういうわけか、双極性障害を発症してからというものの、会社に行ったり買い物(人で混み合っているスーパーなど)に行くのが苦痛でたまらない。そう、何を隠そうおれ、ダルタニャンは双極性障害を有している騎士だ。アロンソ・キハーノの二つ名を借りるならば、憂い顔の騎士だ。正確には双極性感情障害というのが病名らしい。あと依存症。アディクションをもっている。何の依存かと言えば、おれはトー横女子なので(※トー横女子ではありません。ラ・ロシュル攻囲戦にも参加したことのある屈強な勇士です)、金パブ依存である。すなわち、カフェインとエフェドリンとコデインに依存しているんだな。これらを過剰に摂取すると、不安感が一気に消し飛び、眠気が晴れ、集中力が鬼神のように鋭くなる。ドーピングだ。金パブみたいな風邪薬依存は、表になっていないだけでけっこう人口が多い(薬剤師がそう言っていた)のだが、つまるところその効能が、「サラリーマンのためのドーピング」であるから便利なのだな。それだから流行するのだ。労働者のクスリとしてはこれ以上ないほど好条件が揃っている。手に入りやすさ、価格、副作用の軽さ(連用しすぎると入院するほど重いぜ、さすがに)、などなど。

 おれは新婚という身分を手に入れたのだから、こんなに幸せなことは他にないのだから、しっかりと依存症とも向き合い、これを克服し、まともになりたいよ。なあ。

 最近は友人の福田院法師、甘露院法師、双嵐院法師、結縁院法師、その他世話になった先輩方と連絡をとっていないし、会ってもいない。独身時代は毎週のように食事をしていたものだが、いまは結婚をおれがしたもんだから、みんな遠慮をして連絡をよこさないようだ。これじゃさみしいので、エデ(妻)に許可をもらって、おおいに交歓したいもの。